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京都地方裁判所 昭和41年(レ)43号 判決

控訴人

寺本敏

右代理人

小田実奇穂

立野造

被控訴人

中西宗一

右代理人

杉島勇

主文

原判決を取消す。

被控訴人を申立人とし、控訴人を相手方とする京都簡易裁判所昭和三二年(イ)第一四〇号債務履行方法和解事件について、同年三月五日成立した和解が無効であることを確認する。

被控訴人から控訴人に対する右和解事件の和解調書に基く強制執行は許さない。

被控訴人は、控訴人に対し、別紙目録記載不動産(以下本件物件という。)について、京都地方法務局嵯峨出張所昭和三〇年一二月二七日受付第八、二九一号の各所有権移転請求権保全仮登記、同出張所昭和三二年一二月一二日受付第一一、二〇九号の各所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

本件について、昭和四一年七月二〇日当裁判所がした強制執行停止決定を認可する。

前項に限り、仮に執行することができる。

事   実≪省略≫

理由

一控訴人は、昭和三〇年一二月四日、前主藤本一馬(登記名義人は西村久次郎)から、本件物件を、代金一七、〇〇〇円で買受け、同月二七日、所有権移転登記手続を経由して(登記原因は昭和二五年一二月二〇日付売買)、本件物件の所有権を取得したこと、本件物件につき、主文掲記の所有権移転請求権保全仮登記および所有権移転登記が存在すること、控訴人・被控訴人間に、後者を申立人、前者を相手方とする京都簡易裁判所昭和三二年(イ)第一四〇号債務履行方法和解事件につき、同年三月五日訴外寺本ハナ子が控訴人の代理人となつて被控訴人との間に別紙和解条項を内容とする裁判上の和解が成立した旨記載された和解調書が存在することは、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、本件和解の効力について判断する。

(一)  被控訴人は、寺本ハナ子が本件和解につき控訴人から代理権を授与されていた旨主張するので考えるに、右主張に符合する<証拠>は採用できず、他に右事実を認めうる証拠はない。

もつとも、乙第三号証(代理人許可申請書)と乙第四号証(委任状)には、控訴人が妻寺本ハナ子に本件和解の代理権を授与したかのような記載がある。また控訴人名下の各印影がいずれも控訴人の印章によつて顕出されたものであることは、当事者間に争いがない。

しかし、<証拠>によれば、右印影は、寺本ハナ子が控訴人の意思に基かず無断顕出したものであることが認められる。

また、右控訴人の名がいずれも控訴人の自署によるものであるとの<証拠>は、鑑定人神戸光郎、同大河内常憲の各鑑定結果に照して採用できない。

すると、乙第三、四号証の存在によつては、右認定を左右することはできない。

さらに、甲第四号証の三(委任状)の控訴人名が控訴人の自署によるものであるとの<証拠>は採用できず、その他これが控訴人の自署によるものであること、あるいはその名下の印影が控訴人の意思に基いて顕出されたものであることを認めうる証拠はないから、これを含めて甲第四号証の一ないし四の存在も、右認定の妨げとはなりえない。

以上の次第であるから、被控訴人の代理権存在の主張は、失当である。

(二)  次に、被控訴人は、本件和解につき、表見代理の主張をするけれども、本件和解は、裁判上の和解であり、訴訟行為たる裁判上の和解については、表見代理に関する民法第一一〇条の規定の適用がないから(最高裁昭和三三年五月二三日第二小法廷判決、民集一二巻八号一一〇五頁参照)、被控訴人の右主張は、失当である。

(三)  よつて、控訴人の本件和解の無効確認を求める請求と、本件和解調書の執行力排除を求める請求は、いずれも理由がある。

三次に、所有権移転登記の抹消請求について判断する。

(一)  本件裁判上の和解は、前記認定のとおり、寺本ハナ子の無権代理行為であり、無効であるが、その基礎たる私法上の和解に対する表見代理の主張について判断しなければならない。

(二)  被控訴人は、控訴人の妻たる寺本ハナ子は、本件和解にあたり、被控訴人に対し、控訴人の実印を呈示し、控訴人の代理人として行動していたから、被控訴人が寺本ハナ子に右代理権があると信ずるにつき正当の理由がある、したがつて、控訴人は寺本ハナ子のした本件和解につき民法第一一〇条により責に任じなければならない旨主張する。

被控訴人は、寺本ハナ子の基本代理権の存在については、単に寺本ハナ子が控訴人の妻であるとのみ主張するだけで、具体的な代理権の存在に言及しないけれども、寺本ハナ子が控訴人の妻であることは当事者間に争いがない。

民法第七六一条は、日常家事に関する法律行為について夫婦は相互に他方を代理する権限を有することを間接に規定したものと解するのが相当であり、民法第一一〇条は、法定代理にも適用されるべきであるから(大審院昭和一七年五月二〇日民事聯合部判決、民集二一巻五七一頁参照)、民法第七六一条の夫婦相互の法定代理権についても民法第一一〇条の適用があると解すべきである。

一般に、ある地位にある者が当該取引をなすことを常態とするような事情がある場合には、相手方は代理権の存在を信ずるにつき「正当ノ理由」を有するといつてよいが、そうでない場合には、相手方は取引上相当と認められる程度の調査をした場合でなければ、「正当ノ理由」あるものと認められない。

<証拠>によれば、寺本ハナ子は、本件和解にあたり、控訴人に対し、控訴人の実印を呈示し、林司法書士事務所において、前記乙第三、四号証の各控訴人名下に自ら右実印を押捺したこと、寺本ハナ子が控訴人の代理人として行動したことが認められ、<証拠>中、右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

しかし、妻が夫の実印を保管することは同居中の夫婦においては通例であり、したがつて、妻が夫に無断で実印を持出すことは極めて容易であるから、上記認定事実のみによつては、代理権限ありと信ずるにつき、被控訴人が正当の理由を有したと認められない。

かえつて、<証拠>によれば、控訴人は、寺本ハナ子と本件物件に同居していること、本件物件は、控訴人の唯一の資産であること、被控訴人が右事実を了知していたこと、寺本ハナ子は、前記実印を控訴人に無断で持出したこと、本件物件と被控訴人住居とはそう遠く離れているわけでなく、被控訴人は、これまで少くとも二回以上控訴人方を訪れて控訴人本人に会つていることが認められる。

右事実に鑑みると被控訴人は、金融業を営む者であり、殊に本件物件が控訴人の唯一の資産であることを了知しており、しかも比較的容易に控訴人本人に面会して直接代理権授与の有無を調査しうる地位にあるのに、その労を惜んで、代理権授与の確認を怠つたものであるから、到底取引上相当と認められる程度の調査をしたとみることはできず、代理権限ありと信ずるにつき、正当の理由がなかつたといわねばならない。

(三)  よつて、被控訴人の表見代理の主張は失当であり、被控訴人は、本件和解により本件物件の所有権を取得するに由なく、本件物件は、依然として控訴人の所有に属していることになる。従つて、控訴人は、被控訴人に対し、本件物件の所有権に基き、或いは本件移転登記がその実体法上の原因を欠いていることを理由に、右登記の抹消登記請求権を有することが明らかである。

よつて、控訴人の右登記抹消請求は、理由がある。

四最後に、控訴人の仮登記の抹消請求について判断する。

(一)  被控訴人は、控訴人に対する合計金二七、九〇〇円の貸金債権を担保するため、昭和三〇年一二月二六日、控訴人との間に、本件物件につき売買予約を締結してその権利者となり、同月二七日、本件仮登記を経由した旨主張するけれども、これに符合する<証拠>は採用できず、他に右事実を認めうる証拠はない。

(二)  さらに、本件和解が前記認定のとおり無効であるから、実体法上の原因なくしてなされた本件仮登記が、本件和解による売買予約により、事後的に実体法上の原因を備えるに至るということもありえない。

(三)  従つて、控訴人は、被控訴人に対し、本件物件の所有権に基き、本件仮登記の抹消登記請求権を有することが明らかである。

よつて、控訴人の右仮登記抹消請求は、理由がある。

五以上の次第であつて、控訴人の被控訴人に対する本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容すべく、これを棄却した原判決は失当であるから取消を免れない。

よつて、民事訴訟法第三八六条、第八九条、第五四八条を適用して主文のとおり判決する。(小西 勝 杉島広利 辰己和男)

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